『カトリックらしさとは』
(2012年執筆)
さて、皆さんが今いるここ大阪信愛女学院は、今年創立128周年を迎えました。本校は、皆さんも知っているとおり、キリスト教のショファイユの幼きイエズス修道会を設立母体とした歴史のあるカトリックの女子校です。では「カトリック」の学校とはどういったものなのでしょうか?今日は、そのことについて考えてみたいと思います。
私は4年ほど前からカトリック学校に勤めている教職員が集まる研修会に何回か参加させていただいているのですが、その研修会で、「自分の学校がカトリックらしいと思えることは何か」というテーマで話し合いをしたことがあります。そこで出された教職員の方々の意見の一部を紹介します。まず、目に見えることで言うと、「学校内にお御堂があること」「各教室に聖母マリア様の絵がかかげられていること」「朝終礼にお祈りの時間があったり、宗教の時間にキリスト教のことを学ぶこと」それから、「年間行事にミサとかロザリオがある」といった意見がありました。他にも、「献金や募金活動など多くの奉仕活動に取り組んでいる点」や「学校全体であいさつや丁寧な言葉遣いなどが自然とできている点」「カトリック学校にいる教職員、そして生徒達は何かやさしい雰囲気、思いやりの心を持っている」と言う意見もありました。
また、この研修会では、カトリック学校を卒業した方々のお話を聞く機会もあったのですが、ある卒業生は次のようなことを話してくれました。「今、私はサービス業の仕事に就いていますが、『キリスト教的価値観』はサービスの精神に通じるところがあります。サービスの現場では、困っている人にこちらから一声かけて、何に困っているのか尋ねるのが基本ですが、すぐにこのような行動ができるのは、中高時代にカトリックの学校で奉仕活動を行っていたからだと思います。困っている人に気付く力や、その困っている人に実際に何かしらの行動が起こせることというのは、中学・高校時代に培ったものだと思います。」
また別の卒業生は次のようなお話をしてくださいました。「私がカトリック学校に通ってよかったと思うことは、『無償の愛』を体現できたことです。高校時代に釜が崎での支援等を通じて、奉仕をする喜びを知り、その経験は大人になってからの財産となっています。現在、医療関係の仕事に就いていますが、高校時代にお世話になった先生方のまなざしと患者を迎える時の医師の姿勢は似ています。そして、人生に迷った時の心のよりどころはカトリック学校での思い出なのです。」
他にも卒業生から色々な話を聞く機会があるのですが、よく耳にするのは「中学高校時代は、色んな意味で守られていたなあ」という言葉です。おそらく卒業した皆さんの先輩がこう感じるのは、キリスト教の「全ての人間は、神様から無条件に愛されている」という福音がカトリック学校の根本にあるからだと思います。
私は神父でも信者でもなく、またカトリックの学校を卒業したわけでもありませんが、その私が、カトリック学校で働いている教職員やその卒業生達のお話を聞いていて感じるのは、「カトリックの学校というのは、キリスト教的価値観のもと、何か家庭的で、あったかい雰囲気をもっている」ということです。
生徒の皆さんのなかには、「カトリック学校の雰囲気」「カトリック学校の良さ」を今すでに感じている人もいるかもしれませんし、もしかしたら卒業して何年か経ってから、このことを感じるかもしれません。特に、何か困ったり、迷ったりした時にこの信愛で学んだことが自分自身を支えてくれることになるのかもしれません。
「カトリック学校はキリスト教的価値観のもと、何か家庭的で、あったかい雰囲気をもっている」これが今、私がカトリックの学校に対して感じていることです。
では今日のお祈りの意向です。ここ大阪信愛女学院では日々、宗教の時間やミサ・ロザリオ・修養会を通じてイエスキリストについて学んだり、聖書の言葉に触れたりする機会があります。これからもここで学ぶ、あるいは学んだ、カトリックの価値観・世界観・カトリックセンスを大切にし、人間的により一層成長していくことができますようお祈りいたしましょう。