『オーストラリアセミナー』
(1995年執筆)
参加時期:1995年7月28日~8月27日
「寒い。寒い。」1995年7月29日、朝6時15分、オーストラリアのブリスベンに到着しました。高校時代にブリスベン出身の留学生が私の家にホームステイしていたこともあり、その町には何か特別な感情をもっていました。
バスで空港からクィーンズランド大学(オーストラリア最大のキャンパスを誇る大学)に行き、そしてホストファミリーとの対面の時を迎えました。ホストファミリーの家族構成は、両親と子供3人と聞いていたのですが、実際には子供が7人いたことには、驚かされました。最初は不安でしたが、すぐにその不安もうすらぎ、その子供達とは家の前の公園でブーメラン投げの練習をしたり、バスケットボールや鬼ごっこなどで遊んだりと、まるで子供の頃に帰った気分でした。
特に印象に残っているのは、夕食後のホストファミリーとの会話です。会話では、日本について聞かれることが多かったのですが、うまく説明できなかったのを痛切に覚えています。この体験を通して、自国の歴史や文化、生活様式などを英語で伝えることの大切さを学ぶことができました。
次にクィーンズランド大学での研修内容ですが、授業時間は90分で、一日に2~3つの授業があり、そこでオージー・イングリッシュやオーストラリアの自然や動物、オーストラリアの原住民アボリジニのことなどを勉強しました。また、アクティビティーといってバーベキューやスポーツをしたり、one day tripとしてゴールドコーストやシーワールドといった観光地へ行きました。
3週間のクィーンズランド大学での語学研修の後に訪れたのは、メルボルンとシドニーでした。なかでも特に印象に残っているのは、“ペンギンパレード”と呼ばれるもので、世界で一番小さなペンギン、フェアリーペンギンが海からあがって巣に向かって砂浜を群れになってヨチヨチと行進する光景は忘れることのできないシーンでした。
最後に、私は2つのことを書きます。1つ目は「オーストラリアとアジアとの関係性」について。ホストチルドレンの話によると、オーストラリアでは小学生の時から第2言語としてアジアの言語を選択している人が多いとのこと。また白豪主義(白人だけのオーストラリアを築く思想)政策廃止で現在多くのアジアの人たちがオーストラリアで働いているとのこと。こういった状況をふまえ、オーストラリアとアジア諸国との関係はこれからもっと親密になっていくと感じました。2つ目は「環境問題」について。私がオーストラリアにいた頃、フランスによる核実験が行われ、ブリスベン市内でも核実験廃止運動が繰り広げられ、町中はパレードで盛り上がっていました。私達は Only One Earth を守るために環境問題について真剣に見つめ直すべきだと強く思いました。